私が創作をやる理由と、ゲーム制作への挑戦

前回の記事でも書いたが、最近は某オタサーに社会人枠として入り、オタクトークなどの活動に参加している。学生サークルなので、進路についての悩みを話している人も多い。(そこに参加したのは純粋にオタク友達を増やしたかったからという理由が強く、私がメインでやっているサークルは別にある。)彼らの話を聞きながら、自分がどういう道を歩んできたかを思い返していた。

 

私は小学生~中学2年生ごろまではいわゆる「消費する側のオタク」だった。プログラミングをやっていたから、一種のモノづくりをやっている身ではあったんだけど、工作と創作は何かが違う、とは思っていた。そして、「創作をしたい」と意識したことはほとんどなかった。

中学3年生あたりから、プログラミングは何かが違うという違和感が日に日に増していった。やがてそれは、このままでいいのだろうかという進路の不安になっていった。いろいろ考えたけど、最終的には「プログラミングは創作っぽくないから自分の求めてるものとは違う」という理解に達した。

 

プログラミングは『Aという表現をしたい』と思った時に『Aという表現をする処理を書く』、ただそれだけ、という圧倒的しょうもなさがつきまとっている。

シューティングゲームで喩えるとわかりやすい。ものすごい弾幕を張りたいと思ったとしよう。そこでプログラマがやるのは、『ものすごい弾幕を張る』ことではなく、三角関数などを駆使して『ものすごい弾幕っぽく見える何かを表示する』ということだ。この2つは、まったく違う。

私は、プログラミングをモノづくりの本質から遠く離れた「作業」のように感じ始めていた。

自分が今まで全力投球してきたスキルが無駄になったような気がして、自我が崩壊するような感覚がした。吐きそうだった。その頃、「クリエイターになりたい」というキラキラした夢を語る人たちを見ると、ものすごく居心地が悪かった。自分だってもっと早く気づけていたら、プログラミングなんかじゃなくお絵かきとかピアノをやっていただろう。今さら作り手側に回りたいと思っても、何もかも遅すぎるんじゃないか。人生を失敗した、と思った。

プログラミングが好きな人にとっては、ここはめちゃくちゃ反論したくなる部分だろう。「そうは言っても、お絵かきだって筆を動かしているだけで、直接的に表現をしているわけではないだろう」と。それで納得するなら何の問題もない。でも、少なくとも私にとっては、プログラミングはあまりにも表現から距離が遠かった。

 

結果として、とにかくプログラミングを捨ててもっと創作的な活動に人生を捧げるべきだ、という漠然とした強迫観念が自分の中に生まれた。それが、自分が創作をやるべきだと初めて意識した瞬間だった。

 

創作をやっている人なら共感できるかもしれない。

人はなぜ創作をやるのだろう。理性で考えてみれば、

  1. 何か作りたいモノがある
  2. モノを作る

という流れが綺麗だし自然だ。しかし、創作者の多くはそうじゃないのではないだろうか。「何かを作らないと終わる気がする」「自分は何かを作らないとダメな気がする」そういう、より生理的な強迫観念で創作をしている人は多いんじゃないだろうか。私はたぶん、そのタイプだ。

 

創作をやるとして、私が興味のあったジャンルの1つにゲームがあった。ゲーム制作は自分のようにプログラミングのバックグラウンドがある人間にとって活躍しやすい分野ではある。しかし、いきなりゲームを作るとなると、壁が高すぎる。少なくとも「絵」「音」「文章」という三大要素について知らないと、絶対にうまく行かない気がした。

IGDA日本 同人・インディーゲーム部会(SIG-Indie)第1回研究会「同人・インディーゲーム開発の現状と課題」発表『同人・インディーゲーム――もう一つのプラットフォーム』(2009)
この発表が、クリエイターが爆増した2010年代ではなく、ゼロ年代に出ていたという事実に震えてしまう。当時中学生の自分にとっては、くらくらするほどの破壊力だった。

プログラミング界隈で私と同じように「ソフトウェアエンジニア」ではなく「クリエイター畑の技術者」という方向に舵を切った若い人たちは、専門学校や大学で率先してゲーム制作を始めて、次々に沈没していった。彼らを見ながら、私は自分の危機察知能力が正しく働いていたことに胸をなで下ろしたけど、同時に「じゃあ、何をどこまで極めれば、正面から立ち向かえるのだろう」という疑問を抱いた。

その答えが出るまでには、10年くらいの歳月がかかった。

 

話は少し戻るが、高校を卒業すると、まずはDTM(PCを使った音楽制作)を始めて、ニコニコ動画にオリジナルボカロ曲を13曲くらい投稿した。手ごたえを感じて、ギターを弾ける友達と一緒にオリジナルCDを企画し、コミケで頒布した。

達成感はすごくあった。めちゃくちゃ努力したし、100%納得の行く作品を作れたと感じているのに、どこか満たされない部分があった。燃え尽き症候群ともまた違う、謎の焦燥感を感じている自分がいた。

その頃になると、私は元々あったはずの「ゲームを作るためにはどうしたらいいのか」という問題意識の前提を忘れてしまい、「私は何者なのか」という自己実現の不安のような形に心の中で変換してしまっていた。つまり、本質を忘れて、表面上の技術だけを追い求めていたことになる。技術を身につけても、「私は何者なのか」は解決しない。はっきり言って迷走していた。何のために同人活動をするのかもよくわからなくなっていた。

 

私が次に手を出したのはデザインだった。Illustratorでロゴ制作を練習し、ついにはInDesignで友達の同人誌の装丁を頼まれるくらいにはなった。音楽とデザインの技術を身につけても、違和感は続いた。「自分って何がやりたかったんだっけ」。そのあたりでようやくゲームのことを思い出した。

 

音楽CDや同人誌などの小型プロジェクトをやるのだって、十分面白いことがわかった。ただ、ゲームは、作ろうと思ってもなかなか作れない。

仕事で作るなら「ゲーム会社の社員」にならないといけないし、そこでキャリアパスはほぼ確定してしまう。しかも、自分のやりたい企画ができるとは限らない。ものすごくリスキーな選択だと感じた。

趣味で作るなら、ゲーム制作特有の壁がある以上、それなりの堅実さがあるプロジェクトに参画する必要があるし、少なくとも代表者には人生を賭ける覚悟が求められる。その点、私にとっては「今の自分ならなんとかできそうだ」という自信と、「ゲーム制作なら20代後半という貴重な人生の一部分を賭けてもいい」というゲームへの信頼があった(美少女ゲームが好きなので)。

更に追加で、「自分がこういう熱意でゲーム制作を主宰するなら乗ってくれる人がいるに違いない」という思いもあった。なにもメンバー全員が人生を賭ける必要はないし、私もそこまで求めるつもりは全くない。関わってくれる人からすると、自分が元々持っていたスキルをうまい具合に発揮できる場があると理想だ。

 

だから、そういう場を作ろうと思った。本当の問いは、「何をできるようになりたいか」でもなく「何者になりたいか」でもない。「何がしたいか」が重要だ。それに気づくのにめちゃくちゃ時間がかかった。

最終的に、私は同人ゲーム制作サークルを主宰する決意をする。私の肩書きは、「代表・ディレクター・プログラマー」になった。それが、今までの人生で一番しっくりくる肩書きだった。