自分がミックスした曲の方が評価が高い理由が分からない

この事を考えると本当にキツくて、2月23日から今まで生きた心地がしなかったんだけど、そろそろ向き合わなければいけないと思う。

よく音楽を一緒に作る友達のわいわい氏が最近出した曲が2つある。作編曲はどちらも彼だが、1曲目はミックスをさきさかが担当、2曲目は別の方が担当している。

 

順を追って話すと、まず『空飛ぶクジラに跨って』を作り、投稿した。これの裏話も無いことはないが、本題とは逸れるので今書く必要はないだろう。

その後、わいわい氏から新曲を作るという話を雑談で聞いて、ミックスは別の人と縁があったから今回はそっちに頼む、と言われた。別に専属エンジニアじゃないし、そんなことわざわざ言わなくても気にしないのに、と思ったけど、気を遣ってくれたのは優しさだなと思った。

ミックスを別の人に頼むと言われた時、自分は単純に「メチャクチャ面白そう」だと思っていた。VTuberで想像してみてほしい。自分が好きなVTuberが、もし「次の曲は、作編曲は前と同じ人だけど、ミックスは別の人にお願いしました!」と発表したらメチャクチャ面白そうじゃないか? ましてや、自分自身の本業がミキシングエンジニアで、リスナーとして好きなVTuberがそんなこと発表したら、おもしろイベント以外の何物でもない。

 

だから、しばらくは能天気にワクワクしていたんだけど、少し経ってから気づく。お相手の方の経歴を拝見するに、商業の経験もあるガチ寄りの人らしい。対する自分はシコシコとボカロ曲を作っていたくらいの同人エンジニアである。勝てるはずがないし、どれくらいの差が付くのだろう、という事に自分の興味は移っていった。

語弊を恐れずに言うと、別に自分があらゆる面で商業エンジニアの人に劣っているとまでは思っていない。我ながら耳は良いと自負しているし、アニソンを聴いてミックスの問題点を詳細に解説できる程度にはミックスをやっている(世の中の曲の8割は音が悪い)。

ただ、商業経験のある人の成果物には、特有の「垢抜け感」がある。これは処理が明確に合ってるとか間違ってるとかではなく、EQやコンプのアナログ的な適材適所、リバーブのパラメータの追い込み具合、それらの正確さの積み重ねで総合的に滲み出るプロっぽさがあると思っている。それは音質の良し悪しとは別問題で、商業グレードのスタジオで4ケタ以上のアーティストと接し、あらゆる多様性を吸収しないと身につかないものなのだ。残念ながら自分はその経験がなく、そこまでの垢抜け感は(まだ)持ち合わせていないと考えている。

なので今回は勉強だな、と思っていた。

 

そして『Still Alive』公開当日。「(いつも自分がミックス担当していたので)投稿された曲を聴くのって久々だな」と新鮮な感慨を抱きつつ、何度か聴いた。

自分の感想は、「自分だったらこういうミックスにはしないな」に尽きる。これは批判しているわけでも賞賛しているわけでもなく、「エンジニアが2人いれば別々の曲ができる」という意味で。ミックスって面白いな、と改めて思ったのであった。

 (自分がよく人にミックスのイメージを説明する時に使う図)

 

なので、『Still Alive』をしばらくループ再生した後に『空飛ぶクジラに跨って』を聴くと、「うぉっなんだこれ!? おかしくないか??」と、何かミックスで根本的なミスをしてしまっているように感じる。これは、真逆の順序で聴いても同じ感覚になる。それくらい別物だと思う。

ただ、前述の「垢抜け感」に関してはやはり(自分が)負けていると思った。いつもだったらこういう「自分のクリエイター人生にとって重要な意味を持つ曲」は何日かループ再生するのだが、今回は流石に怖くなり、どれくらいの再生数の差が付くのだろう、ということばかり考えて毎日過ごした。

 

そして、このブログを書いている4月7日時点で、次のような結果となった。

『空飛ぶクジラに跨って』
 投稿日:2023年11月02日
 再生数:1,989
 コメント数:45
 マイリスト数:67

『Still Alive』
 投稿日:2024年2月23日
 再生数:486
 コメント数:10
 マイリスト数:9

予想と真逆で、『空飛ぶクジラに跨って』の方が4倍の再生数がある。

 

自分が絶対負けると思っていたのは、上に書いたエンジニアとしての経験値の違い以外に、次のような理由がある。

『空飛ぶクジラに跨って』は、極めて不利な曲だった。無色透名祭というイベントは、音楽の中身に集中してもらうために映像は禁止、作者名も秘密、という極めて硬派なイベントである。当然、2020年代のボカロシーンで流行っている曲調の評価が高くなると予想でき、そして『空飛ぶクジラに跨って』はウケ狙いとは対極にある、作家性をそのまま絞り出したような曲調だ。そもそも、4/4拍子じゃないし。

対して、『Still Alive』には優位性がいくつもある。綺麗な映像が付いていて、曲調も分かりやすく疾走感のある王道ギターロック。

 

最後に、おそらく最も再生数に影響する外部要因が、イベントの参加曲数だ。

 タグ《無色透名祭II参加曲》:4,836件
 タグ《ボカコレ2024冬TOP100ランキング参加曲》:2,250件

『空飛ぶクジラに跨って』は2倍近くの曲数の中で4倍再生されていたことになる。全てが直感に反していて、何もわからない。『Still Alive』の唯一の不利な点は、ボカコレという企画が作者名を秘密にする縛りがないため有名なボカロPと同列に評価されてしまう点のはずだが、それも、曲数が半分しかないのだったら2倍見つけやすくなるわけで、相殺されてもはや大した不利要素ではないだろう。そもそも、ニコニコのボカロシーンはマイナーな曲をディグることで発展してきたジャンルだし、一般リスナーで「有名な曲以外の曲」を熱心に探す人は普通に多いわけで。

 

個人的に一番ショックだったのは、自分自身『Still Alive』を聴いた直後に、「『空飛ぶクジラに跨って』よりも当然再生数は高くなるだろう」と予想してしまったことだ。

シンプルに言っていいか。これだけ手間暇をかけた映像がついていて、曲調も分かりやすい曲がウケないんだったら、この先何を信じて音楽を作っていけばいい?

自分はあらゆるポップスには可能ならMVが付いていた方が良いと思うし、『空飛ぶクジラに跨って』だって通常の企画だったら映像を付ける流れになっていたと思う。そうするのは、映像表現自体に芸術的価値があるからと、ウケるからだ。でも、どうやら映像があればウケるというわけでもないらしい。

 

これだけ不利な要素があってそれでも再生数が多いのなら、残る理由はピアノ・ストリングスアレンジか、ミックスにあるとしか考えられない。

実は『空飛ぶクジラに跨って』ではピアノ・ストリングスアレンジもさきさかが担当している。しかし、コンペで曲を神経質に評価する音楽業界人ならまだしも、無色透名祭を聴いている一般の人々があの曲のストリングスの良し悪しだけで感情移入の仕方がそこまで変わるものだろうか?

そして、謙遜抜きで言うけど、自分は『空飛ぶクジラに跨って』のミックスが『Still Alive』の4倍も良いとは思わない。比較すればどちらかのミックスの方が好みという人はいるだろうけど、ミックスで再生数に4倍もの差が付くとは信じられない。上の図で載せた空間表現だけは自分が意識的にやっている独自要素だけど、これも説明されれば「確かに」となる人は多いかもしれないけど、一般リスナーが曲を聴いただけで食いつくほどの引力を出せているかは相当怪しい。

 

この事について1か月くらい考えていたけど、ついに結論が出なかった。

自分がミックスした曲の方が評価が高い理由が分からない。理由が分からない事自体がミキシングエンジニアとして失格な気がして、二重に苦しい。

ショックすぎて、『Still Alive』公開から少し経って再生数を理解し始めた頃から異常な精神状態になってしまい、しばらくはTwitterでフォロワーが全然関係ない音楽の話題を話しているのを見るだけでも心臓バクバク言う状況で、音楽なんて聴けないようなメンタルになってしまっていた。

最近ようやく音楽を聴けるようになってきたので、そろそろ、自分のミックスとは何なのか、良い音楽とは何なのか、改めて考えていかなきゃいけないと思う。