他人がくれる意見の価値について

仕事にしろ、創作にしろ、人と意見を交換する機会は日常的にある。

良い意見を頂いた時、「良い意見ですね、ありがとうございます」という感想が自然と出てくることも多い。

ただ、自分の場合、人から言われた意見が「本当に価値がある意見なのか」……というようなことを無意識的に判断してから、「良い意見ですね、ありがとうございます」と言うことが多かった――ということに最近気がついた。

つまり、相手が言った意見の「内容」の良し悪しについて無意識的な価値判断が働いていたことになる。

もちろん、複数人で意見交換をする場というのは何らかの共通の課題があって、それを解決するために意見を出し合うわけだから、相手が出した意見の「内容」が有効かどうかを評価するのは自然なことだ。なんなら、評価をしなければその先(つまり具体的な実現方法を検討する段階)に至れないわけで、必須とも言える。

ただ、意見の内容への評価を議論の一環としてではなく無意識的に行っているとすれば、それは人の論理的思考に潜む傲慢な習慣なんじゃないかと思った。

この気づきを得てから、他人の意見に対して自分が感心した場面を振り返ってみたら、確かにそういうグロテスクな価値判断を無意識に下しているシーンも多かったように思われたが、それとは別系統のものもあった。

意外な意見だ。

意外な意見は、「意外な意見だな」という本能的な感情が先に出てくるので、口をつく言葉としては「なるほど、そういうのもありましたかぁ」的な反応で止まってしまうことが多い。

ただ、よくよく考えてみると「意外な意見」というのは要するに自分の中にはない着眼点から生まれた意見であり、「良い意見」そのものなのではないだろうか?