さきさか漫画大賞2022(私的漫画ランキング)

2022年が終わりましたが、皆様如何お過ごしでしょうか。私の2022年は、漫画を1,000冊以上読むことに初めて成功し、充実した漫画ライフの年だったと言わざるをえません。

毎年年末になるとTwitterでフォロワー向けに漫画ランキングを作っていたのですが、今年からは趣向を変えてブログ記事という形で少し真面目に編集することにしました。

それでは、ランキング本編へ。いざ見ていきましょう!!

※あくまで個人による私的なランキングであることはご承知おきください。
※タイトル/表紙画像をクリックするとAmazonへ飛べます。

 

1位

冬目景
グランドジャンプ 2022/4/19

百木田家の古書暮らし 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

評価ポイント

私は昔から、独特な感性を持っている人や、しっかりした自我を持ち自分の意志でレールを外れていく人が好きだが、それを端的に言うと、「変な女」になる。

本作は変な女が活躍する青年漫画の旗手・冬目景の最新作。ベテランなだけあり、キャラ作り・表情・カメラワーク・セリフ回し・プロットなど、良い漫画になるために必要なすべての要素の完成度が高い。本年度の、地に足のついた青年漫画の中ではトータルの完成度で他の作品の追随を許していない。

ストーリーは、諸事情で会社員を辞めて祖父の古書店を継ぐことになった主人公姉妹が、未知の領域で苦労しながら経営していく話。マイナーな本に対する思い入れとか、文芸・出版的な文化に興味がある読者は引き込まれるはずだが、単に「変な女」たちの生活の様子を覗き見る感覚でも十二分に楽しめるだろう。

冬目景は以前から風景に現実のモチーフを取り入れることに熱心だ。過去作『イエスタデイをうたって』(1998) では井の頭公園の雰囲気が再現されており、私は吉祥寺で友達と会うたびに井の頭公園に連れて行き「これが冬目景の漫画で出てきたベンチだ!」などと言っていた。

実在の風景を漫画の背景として利用する方法は様々だが、冬目景の場合は写真にモノクロイラストのタッチへと変換するフィルターを掛けて、部分的に加筆しているようである。これは明らかにデジタル派のワークフローだ(2010年代末期以降の青年漫画で急激に増えてきた表現である)。画風を見ればわかるように元々は徹底したアナログ志向であった冬目景がデジタル寄りの表現を模索しているのは「アナログタッチの青年漫画のロールモデル」として注目に値する。中には写実感がありすぎて違和感を覚えるカットもあるが、総合的な“混ぜ方”は同業者の中でもかなり上手い。

2位

眞藤雅興
週刊少年ジャンプ 2022/10/4

ルリドラゴン 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

評価ポイント

とにかく、キャラクターデザインがかわいいこの1点だけで「漫画ランキングに入れる1冊」として選べるくらいの、類い稀なる作家性。

ストーリーは「能天気な女子高生にいきなり角が生え、ドラゴンの子供であることが分かったら……」というキッカケから始まる、ごく普通のドタバタ系日常モノだが、続く展開が「この雰囲気の女の子ならきっとこう反応するだろう」という予測を最高の形で表現し、そのすべての過程に圧倒的なかわいさがある。

本来、漫画というのは本質的に 連続した映像作品 ・・・・・・・・ だから、その 一瞬の印象 ・・・・・ を切り取っただけに過ぎない〈絵柄〉がいくら美麗でも、作品全体について「良い漫画だ」という評価はできない。漫画はイラスト集ではないのである。だからこそ、作画技術が一定ラインに達したあとは、いかに面白いストーリーを紡ぐかが重視される。私は特にその思想が強く、萌え絵にこだわりすぎるあまりプロットがおろそかになっている漫画は冷ややかな気持ちで読んでしまうところがある。『ルリドラゴン』は、そのような偏執的な価値観に対して「とにかくかわいい女の子」ド直球でブチ抜いてくる。かわいいはすべてを解決することがあるのだ。しかしそれを認めてしまうのは悔しいので、「あくまで、『ルリドラゴン』のレベルだったら」と付け加えておきたい。

オタク文化では常に、〈絵柄〉という面で時代を象徴する作家がいた。少年漫画は冨樫義博『HUNTER×HUNTER』、青年漫画は大友克洋『AKIRA』、少女漫画はCLAMP『カードキャプターさくら』、ライトノベルはカントク『変態王子と笑わない猫。』、アニメは堀口悠紀子『けいおん!』。数多くのフォロワーが生まれ、系譜が出来た。イラストを描く人にとっての憧れになるような作家たちである。『ルリドラゴン』の作者も、ここに名を連ねるようになっても不思議ではない。

本作の唯一の欠点は、そのキャラクターデザインが極まりすぎているあまり、日常モノとしての雰囲気を食ってしまっている所だ。日常モノは緩急が重要で、「つまらない」シーンや「シリアス」なシーンを淡々と描けるかどうかが作品としての奥行きを左右する。しかし、本作は全体が「ポップ」な印象に寄ってしまっている感じが否めない。かわいすぎるのも問題だ。このあたりは、作者が今後「現代社会にドラゴンの血を引いた少女が現れた時に抱えることになるはずの鬱屈とした自我を描くこと」とどれだけ真摯に向き合えるかにかかっているだろう。

あ、ちなみにお母さんがかわいくて好きです。

3位

モクモクれん
ヤングエースUP 2022/3/4

光が死んだ夏 1 (角川コミックス・エース)

評価ポイント

異形とのファーストコンタクトものの「ふしぎ感」を、BL的な背徳感や恍惚感で昇華させた意欲作

主人公の親友・光は、禁じられた山に入って行方不明になり、一週間後に戻ってくる。何事もなかったかのように振る舞う親友に対して、主人公は違和感を抱き、「お前やっぱ光ちゃうやろ」と指摘してしまう。光のように見えたソイツは、光の見た目を模倣しているだけのバケモノだった。バケモノの顔がドロッと剥がれ落ち、半泣きで「誰にも言わんといて」と懇願してくる。曰く、初めてヒトとして生活し、友達と触れ合い、主人公のことを殺したくないのだと。

これだけだと、いわゆるファーストコンタクトものでよくありがちな導入だ。本作が少し違うのは、バケモノとのコミュニケーションに、若い少年同士の背徳的な 触れ合い ・・・・ が含まれるところだ。

光は身体の表面をパカッと開けることができ、その中には見るもおぞましい バケモノたる光の本質 ・・・・・・・・・・ …………が入っている。光は主人公の腕をいきなり掴み、胸の中に突っ込ませる。こういったコミュニケーションが、恐怖と気色悪さと好奇心が入り交じった、湿度の高いシーンとして表現されている。

日本の夏そしてホラーという要素も絶妙なマリアージュだ。

4位

酢豚ゆうき
同人誌,月刊アクション 2022/9/15

月出づる街の人々 : 1 (アクションコミックス)

評価ポイント

こういう寓話的な短編集は、現代人にとって心の隙間を埋めてくれる大切な存在だと思う。

透明人間少女・狼少年・ドラキュラ・メデューサなどが普通に暮らす町の、ささやかな日常譚。おとぎ話の現代的アレンジといったところか。

自分の首の繋ぎ目を直すために糸を買いに行くフランケンシュタイン、髪の毛の蛇の死と向き合うメデューサ、飛べないドラキュラ、同級生が自分の事を「犬」として好きなんだろうと悩む狼男。

ファンタジー漫画において、特定の種族をマイノリティとして扱い、苦しみや葛藤を描く試みは広くなされてきた。本作はそういった(種族全体の)「生き辛さ」にさらりと触れつつ、ストーリーの主軸はあくまで少年少女たちの「個人の夢」「個人の家族愛」「個人の友情」「個人の死生観」そして――「個人の性癖」にフォーカスしているのが良い。

そこで見えてくる感情の機微は良い意味で現代的(世俗的)であり、共感しやすい作りになっている。こういったファンタジー作品を「卒業」してしまった大人にこそ読んでもらいたい一作。

5位

ハミタ
Kindle個人出版 2022/3/12

誰が文か 1

評価ポイント

「変な女」のサスペンス的解釈。作中で「変な女」というキーワードが出てくるところから、作者が明らかに私と同類であり、キャラクター属性としての「変な女」が好きで漫画を描いていることが伝わってくる。

大学生の主人公は、図書館で1冊の本の中に手紙が挟まれているのを見つける。手紙に書かれた「文通相手になってほしい」というお願いに(大学生男子らしく)簡単に呑まれて、奇妙な文通が始まる。しばらくして、主人公は文通の相手がよく話す女子3人のうちの誰かなのではないかと気づく。

文通の相手を特定し、あわよくば告白したいと考える主人公。何も気づいていないフリをしながら3人の女それぞれと会い、どういう人間なのか確かめてゆく。そのうち、単に 変わった ・・・・ 人として捉えるだけでは済まされない、 異常な ・・・ 側面が見えてくる。そうすると、 オタクの無責任な性癖 ・・・・・・・・・・ でしかなかったはずの「変な女」が、一気に生々しい存在として迫ってくる。相手のことを分かったつもりになっていたと気づいてからではもう遅い、手遅れ的なサスペンス感が面白い。

個人出版の作品ということもあって荒削り感は否めないが、「変な女」への新しい切り口があったことを評価したい。

6位

劇光仮面(1) (ビッグコミックススペシャル)

山口貴由
ビッグコミックスペリオール 2022/5/30
評価ポイント

特撮の着ぐるみを着るうえでの精神性という特殊なテーマ。

7位

拝啓、世間様。 1巻 (バンチコミックス)

神﨑新
くらげバンチ 2022/12/8
評価ポイント

FtM当事者が当たり前のように「女の子」として扱われる苦痛。

8位

一級建築士矩子の設計思考 1

鬼ノ仁
週刊漫画ゴラク 2022/3/9
評価ポイント

職業モノの中でもマイナーな職業を取り上げつつ、専門的な描写をしっかり描いている。

9位

生活保護特区を出よ。 (1) (トーチコミックス)

まどめクレテック
トーチweb 2022/7/23
評価ポイント

不条理文学的な退廃。

10位

鍋に弾丸を受けながら 1 (カドカワデジタルコミックス)

青木潤太朗(原作),森山慎(作画)
コミックNewtype 2022/1/8
評価ポイント

危ない地域に行ったりするワケアリなグルメ漫画。

11位

ぼっち・ざ・ろっく! 1巻 (まんがタイムKRコミックス)

はまじあき
まんがタイムきららMAX 2019/2/27
評価ポイント

陰キャのリアリティについて賛否両論あるとは思うが、これで救われる陰キャがいるのも事実だと思う。

12位

神さまがまちガえる(1) (電撃コミックスNEXT)

仲谷鳰
月刊コミック電撃大王 2022/5/27
評価ポイント

省略の美学。SF作品は細かい世界観設定を「説明」する必要性に迫られがちだが、日常系のライトSFとしてのバランス感覚が絶妙。

13位

シュガーレス・シュガー : 1 (ジュールコミックス)

木村イマ
コミックシーモア 2022/6/16
評価ポイント

小説を書くのを諦めきれない30代主婦の葛藤という現代的なテーマ。

14位

平和の国の島崎へ(1) (モーニングコミックス)

濱田轟天(原作),瀬下猛(漫画)
モーニング 2022/12/22
評価ポイント

幼少期にテロリストに拉致されて育てられた男は、現代日本でまともな人生を歩めるのか。スパイアクション寄りの戦闘系青年漫画の王道。

15位

庄野晶短編集 グッド・ナイト・フィールド (青騎士コミックス)

庄野晶
月刊ASUKA,青騎士 2022/7/20
評価ポイント

和風ファンタジーなど。運命に翻弄されるかわいそうな青少年たち。

16位

樫村一家の夜明け

岡村星×沙村広明
週刊漫画ゴラク 2022/8/29
評価ポイント

夫婦で共同制作という珍しい商業漫画。「夫のネームバリューで……」と自虐しているが、妻の作風も負けず劣らず面白い。

17位

しょせん他人事ですから ~とある弁護士の本音の仕事~ 1 (黒蜜コミックス)

左藤真通(原作),富士屋カツヒト(作画),清水陽平(監修)
黒蜜 2022/8/29
評価ポイント

SNSで誹謗中傷された有名人が訴訟したことを報告するのも珍しくない時代になったが、実際にどういうやり取りが行われているのかイメージできない人も多いのではないだろうか?

18位

ブレス(1) (少年マガジンエッジコミックス)

園山ゆきの
少年マガジンエッジ 2022/8/17
評価ポイント

キャラクターイラストにおいて顔のパーツはあくまで「記号」として描かれる。メイクがテーマの作品で、ビフォー/アフターを作画するのは大きな挑戦。

19位

つれないほど青くて あざといくらいに赤い 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

tomomi
となりのヤングジャンプ 2022/1/19
評価ポイント

絶対に正体を知ってはいけない中性的クラスメイトとのホラーな日常。

 


当ランキングのレギュレーション

[出版元]
商業出版社、Amazon Kindle個人出版。

[媒体]
対象の出版元から発売された、紙または電子の漫画単行本。ただし、次のものは除外する:Kindle以外の電子媒体、単話で売られている作品、Webtoonに近い体裁のもの。

[期間]
2022年1月1日~12月31日に1巻が発売されていること。
ただし、2巻以降の最新巻が上記期間中に発売された作品のうち、2022年に大きなムーブメントがあった作品は対象とする。

[選出基準]
本ブログの筆者が面白いと感じた、または個性的な表現だと感じた作品を選ぶ。ただし、後者については、単に目新しいだけでは対象とせず、あくまで1つの漫画作品として他のタイトルと同列に並べた時に優れていると感じるものを選ぶ。

 

おことわり

Kindleのみ個人出版作品を選出対象に含めている理由は、「商業作品と同じ棚に並べたい」という作者のマーケティング観点での強い意志を感じるからです。

本記事で紹介した作品のレーベル名は、掲載誌の名前であり、コミックスのレーベルとは異なる場合があるのでご注意ください。例えば、グランドジャンプで連載されている作品の単行本はヤングジャンプコミックスになります。

関連リンク

私が創作をやる理由と、ゲーム制作への挑戦

前回の記事でも書いたが、最近は某オタサーに社会人枠として入り、オタクトークなどの活動に参加している。学生サークルなので、進路についての悩みを話している人も多い。(そこに参加したのは純粋にオタク友達を増やしたかったからという理由が強く、私がメインでやっているサークルは別にある。)彼らの話を聞きながら、自分がどういう道を歩んできたかを思い返していた。

 

私は小学生~中学2年生ごろまではいわゆる「消費する側のオタク」だった。プログラミングをやっていたから、一種のモノづくりをやっている身ではあったんだけど、工作と創作は何かが違う、とは思っていた。そして、「創作をしたい」と意識したことはほとんどなかった。

中学3年生あたりから、プログラミングは何かが違うという違和感が日に日に増していった。やがてそれは、このままでいいのだろうかという進路の不安になっていった。いろいろ考えたけど、最終的には「プログラミングは創作っぽくないから自分の求めてるものとは違う」という理解に達した。

 

プログラミングは『Aという表現をしたい』と思った時に『Aという表現をする処理を書く』、ただそれだけ、という圧倒的しょうもなさがつきまとっている。

シューティングゲームで喩えるとわかりやすい。ものすごい弾幕を張りたいと思ったとしよう。そこでプログラマがやるのは、『ものすごい弾幕を張る』ことではなく、三角関数などを駆使して『ものすごい弾幕っぽく見える何かを表示する』ということだ。この2つは、まったく違う。

私は、プログラミングをモノづくりの本質から遠く離れた「作業」のように感じ始めていた。

自分が今まで全力投球してきたスキルが無駄になったような気がして、自我が崩壊するような感覚がした。吐きそうだった。その頃、「クリエイターになりたい」というキラキラした夢を語る人たちを見ると、ものすごく居心地が悪かった。自分だってもっと早く気づけていたら、プログラミングなんかじゃなくお絵かきとかピアノをやっていただろう。今さら作り手側に回りたいと思っても、何もかも遅すぎるんじゃないか。人生を失敗した、と思った。

プログラミングが好きな人にとっては、ここはめちゃくちゃ反論したくなる部分だろう。「そうは言っても、お絵かきだって筆を動かしているだけで、直接的に表現をしているわけではないだろう」と。それで納得するなら何の問題もない。でも、少なくとも私にとっては、プログラミングはあまりにも表現から距離が遠かった。

 

結果として、とにかくプログラミングを捨ててもっと創作的な活動に人生を捧げるべきだ、という漠然とした強迫観念が自分の中に生まれた。それが、自分が創作をやるべきだと初めて意識した瞬間だった。

 

創作をやっている人なら共感できるかもしれない。

人はなぜ創作をやるのだろう。理性で考えてみれば、

  1. 何か作りたいモノがある
  2. モノを作る

という流れが綺麗だし自然だ。しかし、創作者の多くはそうじゃないのではないだろうか。「何かを作らないと終わる気がする」「自分は何かを作らないとダメな気がする」そういう、より生理的な強迫観念で創作をしている人は多いんじゃないだろうか。私はたぶん、そのタイプだ。

 

創作をやるとして、私が興味のあったジャンルの1つにゲームがあった。ゲーム制作は自分のようにプログラミングのバックグラウンドがある人間にとって活躍しやすい分野ではある。しかし、いきなりゲームを作るとなると、壁が高すぎる。少なくとも「絵」「音」「文章」という三大要素について知らないと、絶対にうまく行かない気がした。

IGDA日本 同人・インディーゲーム部会(SIG-Indie)第1回研究会「同人・インディーゲーム開発の現状と課題」発表『同人・インディーゲーム――もう一つのプラットフォーム』(2009)
この発表が、クリエイターが爆増した2010年代ではなく、ゼロ年代に出ていたという事実に震えてしまう。当時中学生の自分にとっては、くらくらするほどの破壊力だった。

プログラミング界隈で私と同じように「ソフトウェアエンジニア」ではなく「クリエイター畑の技術者」という方向に舵を切った若い人たちは、専門学校や大学で率先してゲーム制作を始めて、次々に沈没していった。彼らを見ながら、私は自分の危機察知能力が正しく働いていたことに胸をなで下ろしたけど、同時に「じゃあ、何をどこまで極めれば、正面から立ち向かえるのだろう」という疑問を抱いた。

その答えが出るまでには、10年くらいの歳月がかかった。

 

話は少し戻るが、高校を卒業すると、まずはDTM(PCを使った音楽制作)を始めて、ニコニコ動画にオリジナルボカロ曲を13曲くらい投稿した。手ごたえを感じて、ギターを弾ける友達と一緒にオリジナルCDを企画し、コミケで頒布した。

達成感はすごくあった。めちゃくちゃ努力したし、100%納得の行く作品を作れたと感じているのに、どこか満たされない部分があった。燃え尽き症候群ともまた違う、謎の焦燥感を感じている自分がいた。

その頃になると、私は元々あったはずの「ゲームを作るためにはどうしたらいいのか」という問題意識の前提を忘れてしまい、「私は何者なのか」という自己実現の不安のような形に心の中で変換してしまっていた。つまり、本質を忘れて、表面上の技術だけを追い求めていたことになる。技術を身につけても、「私は何者なのか」は解決しない。はっきり言って迷走していた。何のために同人活動をするのかもよくわからなくなっていた。

 

私が次に手を出したのはデザインだった。Illustratorでロゴ制作を練習し、ついにはInDesignで友達の同人誌の装丁を頼まれるくらいにはなった。音楽とデザインの技術を身につけても、違和感は続いた。「自分って何がやりたかったんだっけ」。そのあたりでようやくゲームのことを思い出した。

 

音楽CDや同人誌などの小型プロジェクトをやるのだって、十分面白いことがわかった。ただ、ゲームは、作ろうと思ってもなかなか作れない。

仕事で作るなら「ゲーム会社の社員」にならないといけないし、そこでキャリアパスはほぼ確定してしまう。しかも、自分のやりたい企画ができるとは限らない。ものすごくリスキーな選択だと感じた。

趣味で作るなら、ゲーム制作特有の壁がある以上、それなりの堅実さがあるプロジェクトに参画する必要があるし、少なくとも代表者には人生を賭ける覚悟が求められる。その点、私にとっては「今の自分ならなんとかできそうだ」という自信と、「ゲーム制作なら20代後半という貴重な人生の一部分を賭けてもいい」というゲームへの信頼があった(美少女ゲームが好きなので)。

更に追加で、「自分がこういう熱意でゲーム制作を主宰するなら乗ってくれる人がいるに違いない」という思いもあった。なにもメンバー全員が人生を賭ける必要はないし、私もそこまで求めるつもりは全くない。関わってくれる人からすると、自分が元々持っていたスキルをうまい具合に発揮できる場があると理想だ。

 

だから、そういう場を作ろうと思った。本当の問いは、「何をできるようになりたいか」でもなく「何者になりたいか」でもない。「何がしたいか」が重要だ。それに気づくのにめちゃくちゃ時間がかかった。

最終的に、私は同人ゲーム制作サークルを主宰する決意をする。私の肩書きは、「代表・ディレクター・プログラマー」になった。それが、今までの人生で一番しっくりくる肩書きだった。

メトロノームの音が聞こえる人

これから書く出来事は、かなり個人的なことなので、正直ブログに書いていいかどうかかなり悩んだ。だけど自分としては鮮烈な体験だったのでどうしても書き留めておきたかった。もし関係者が見ていたら許してほしい。

最近参加している某サークルで、とある日の夜に定例会議が開催された。扱う企画が初期段階のため話し合いは大変なカロリーで、概ね議題は消化したものの話は盛り上がり、予定された終了時刻を回っても会が収束に向かわなかった。

学生サークルだけどインカレかつ社会人OKのサークルで、メンバーの中には翌日に仕事がある人もいる。若干名、すぐにでも話をまとめたそうに切迫した雰囲気を醸し出している社会人の方がいた。仕方がないので私が議題を軽く整理して、会を収束に向かわせる舵取りをした。

正直言うと、学生サークルの中で社会人があんまり出しゃばりたくはないんだけど、長年同人活動をやっている関係でそういう議論をまとめるのは少し得意ではある。なのでその時も比較的すっきりまとまったと思う。

そして会は形式上の終了を迎え、落ちたそうにしていた人たちは挨拶をして抜けていった。

 

万事解決、めでたしめでたし……となるはずだったけどこの話には続きがある。

これはどこのオタクサークルでもそうだと思うけど、会議が終わったあとは自然な流れで雑談タイムが始まることが多い。

その時に言われた一言が強烈に記憶に残った。

「さきさかさんは、メトロノームの音がはっきり聞こえるんです

場が静まり返った。その時の場の雰囲気ときたら当分忘れられそうにない。狐につままれたような感覚になっている人が多かったと思う。

私は何かの比喩だと思って意味を聞き返した。厳密な言い回しまでは忘れてしまったんだけど、意訳すると、

  • 人は、多かれ少なかれメトロノームの音がする
  • その中でもオンとオフの切り替えがはっきりしてる人は、メトロノームがカチッ!と合う感じがする

正直びびった。メトロノームを音楽のテンポに関係した文脈以外で使ったことがなかったから。ましてや「人」に対してメトロノームの音が聞こえるとか聞こえないとか、考えたこともなかった。

確かに言われてみれば、そういう独特なスイッチ感、テンポ感のようなものを醸し出す人は世の中にいる。自分の身の回りだと、仕事でまとめ役的なものを経験した人と、芸術家肌の人とかもそういう音を出す傾向にあると思う。

だから感覚自体は「言われてみると確かにそういうのあるな」と思える性質のものではあったんだけど、今までメトロノームをそういう風に使える概念だと認識してなかった自分の感性の狭さが恥ずかしくなった。

感覚だけじゃなく、教養も関わっていると思った。メトロノームはもしかしたら何かの引用かもしれないけど、ググっても元ネタは出てこなかった。引用なら引用ですごいし、そうじゃなかったらむしろもっとすごい。たぶん普段からそういう刺激的なことばに触れていないと出てこない言語感覚だと思う。

 

ちなみにその人は別日に、他のメンバーに対して「私と一緒に海に飛び込んでくれませんか?」という相談をしていた。同席していた人たちは全員凍りついていたけど、よくよく聞くと「海に飛び込むポーズの参考資料がほしい」という理由らしかった。太宰治を彷彿とさせるのはずるいぞ。